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千葉地方裁判所佐倉支部 昭和46年(タ)10号 判決

原告(反訴被告) 甲野太郎

訴訟代理人弁護士 酒井祐治

被告(反訴原告) 甲野花子

訴訟代理人弁護士 植田秀夫

主文

原告(反訴被告)の本訴請求を棄却する。

被告(反訴原告)の反訴請求をいずれも棄却する。

訴訟費用のうち本訴について生じた部分は原告(反訴被告)の負担とし、反訴について生じた部分は被告(反訴原告)の負担とする。

事実

(本訴請求の趣旨)

「原告(反訴被告、以下原告という)と被告(反訴原告、以下被告という)とを離婚する。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求める。

(本訴請求の趣旨に対する答弁)

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求める。

(反訴請求の趣旨)

「被告と原告とを離婚する。原告は被告に対し金二〇〇〇万円とこれに対する昭和四六年一〇月一九日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求める。

(反訴請求の趣旨に対する答弁)

「被告と原告とを離婚する」との請求を認容し、「被告のその余の請求を棄却する。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求める。

(被告の財産分与申立の趣旨)

「原告は被告に対し財産分与として原告所有の別紙物件目録(一)記載の物件と訴外有限会社河合売店(成田市成田五三三番地所在、以下訴外会社という)所有の別紙物件目録(二)記載の物件に対する原告の持分(出資口数三〇〇〇口のうち一五〇〇口)を分与せよ」との裁判を求める。

(財産分与申立の趣旨に対する答弁)

「被告の財産分与申立を棄却する」との裁判を求める。

≪以下事実省略≫

理由

≪証拠省略≫によると原告(反訴被告大正五年七月一一日生)と被告(反訴原告大正一一年六月二五日生)は昭和一七年九月八日婚姻の届出をした夫婦である事実を認めることができる。

そこで、≪証拠省略≫を総合すると次の事実を認めることができる。すなわち、(一)、原告と被告は昭和一七年二月一一日結婚式を挙げ原告の父甲野一郎、母松子と独立して世帯を持った。当時一郎が四か所に店舗を持って収入を得ていたので、原告らは一郎の援助を得て生計を保った。一郎が昭和二二年一月二九日死亡すると原告らは独立して生計を立てるようになり、まず職人二名を雇って理髪店を始めたが、思うように行かず、約一年後にこの店舗を他に賃貸し、別に店舗(現在とんかつ屋○○のもの)を造ってこれも賃貸した。また、原告らは昭和二三年ころ飲食店を開業し、そののち土産物品を販売する甲野売店を開業してその経営に当ったが、その生活は苦しかった。原告らは昭和二二年一月一日生まれの春子(被告の兄乙山春夫夫妻の三女)を生後一〇か月のころ事実上の養女として迎え入れ、同女を養育していたが、昭和二八年三月一二日同女との養子縁組届出をした。原告らは従前の甲野売店を有限会社組織にしようと企て、昭和二六年四月一九日飲食業、土産物品の販売を目的とする訴外有限会社甲野売店を設立し、出資口数三〇〇〇口(一口一〇〇円、資本の総額三〇万円)のうち原告が一五〇〇口、被告が一〇〇〇口、原告の兄甲野良夫が一五〇口、原告のおじ甲野二郎が一五〇口、松子の親戚丙川竹子が一〇〇口、乙山春夫が一〇〇口をそれぞれ出資し、原告が代表取締役に、被告が取締役に就任した。被告が昭和三一年七月五日から昭和三三年八月四日まで訴外会社の代表取締役に就任し、原告が同月九日代表取締役に就任して現在に至っているが、訴外会社はその目的を昭和三三年八月四日料理店業、飲食店業、土産物品の販売に変更し、昭和三六年一一月七日それに貸室業を加えたものに変更し、昭和三八年六月四日さらにそれにタバコの販売を加えたものに変更した。原告は生来吃るので接客業に不得手であった。そのため被告が積極的に外交面、接客面で活躍し、原告は内部的な経理事務などを担当したが、次第にその熱意を失うようになった。被告の大きな寄与によって訴外会社の業績が上がり、訴外会社は次第に資産を蓄え、経理も豊かになって来た。(二)、原告と被告の婚姻生活は当初円満に過ぎ、人も羡むような状況であった。被告は利発で物事をてきぱきと処理した。原告は吃りで自分の意見を表明するのに手間取ったりしたので、次第に口数が少なくなった。しかし、被告は原告の吃りを庇い、そのことで原告を蔑むことはなかった。また、原告は大事に育てられ過ぎたので我がままなところがあり、家庭生活における責任感に欠けるところがあった。そのため原告の母には被告が原告に対して厳し過ぎ、冷淡過ぎるように見受けられたが、被告は原告にも原告の母にも殊更冷淡に振舞ったりしなかった。かえって、原告はみずから次のような不貞行為を重ねながら被告の行動に厳しく嫉妬した。(三)、原告は性的に早漏の傾向があり、被告との性生活に不満を持続けた。原告はこれを口実にして次のように長期間にわたって多数の女性と情交を重ね続けた。すなわち、(1)昭和二三、四年の一月ころ○○市の芸妓「かの子」ことAに送られて帰宅し、一緒に入浴した後被告の就寝している床の隣り床で被告に知れるようにして情交した。(2)昭和二六年二月ころ原告らが経営していた飲食店で従業員のBと情交した。被告はこれを知らされてその場に行き、目撃した。被告がこれをBの紹介者Cに打明けると、CはBを退職させた。被告は原告の不貞に立腹し、春子を連れて○○市○○○の親戚丁村梅子の許に身を寄せた。原告が約一週間のち梅子の夫に「二度としないから被告を帰してくれ」と泣いて頼み、わび状を書いて差入れたので、被告は原告の許に戻った。(3)昭和二七年ころスクーターが欲しいと要求したのを被告から断わられたので、酒を飲んだうえ訴外会社の売上金を持出し、○○の花街に居続けて芸妓と情交した。(4)昭和三〇年ころの夜被告らを外出させてから訴外会社の近くの料理店○○の女中Dを訴外会社の従業員Eに呼びにやらせ、原告の寝室でDと過ごした。また、○○市○○のEの借家を同女から借受け、同所でDと数回密会した。(5)昭和三五年ころ同市上町のFの借家を同人から借受け、同所で○○食堂の女中通称Gちゃんと一回密会した。(6)昭和三五、六年ころ同市○○○の旅館○○屋の女中Hを誘って山梨県の昇仙峡に旅行し、同女と情交した。同女がそののち訴外会社の従業員になって○○市○○○○に間借すると同所にしばしば通って情交し、昭和三八年八月ころ○○郡○○○町に被告の経営する旅館「○○」が出来ると同所にHを誘って同女と情交し、同女が訴外会社を退職して料亭○○に勤めるようになってからも、電話で呼出して三、四回同女と情交した。(7)昭和三六年ころ○○市○○の小料理屋○○○の女将Iと情交し、そののち「○○」などで数回同女と情交した。(8)昭和四〇年秋ころ訴外会社の臨時雇Jを「○○」に呼寄せ、同女と情交した。(9)昭和四三年一月ころ飲食店を営んでいる人妻Kと「○○」の客間で情交した。被告はこれを目撃して原告に「被告のつくった旅館で関係しては困る」と申入れた。被告はそののちもう一度原告が「○○」で同女と情交しているのを目撃した。原告は昭和四六年一一月ころまで「○○」で同女との関係を続けた。原告は昭和四七年一月胃潰瘍のため○○赤十字病院に入院して手術を受けたが、同女はよく原告を見舞っていた。(四)、被告は昭和三八年ころ○○市○○の料亭○○に他の男性と行ったが、それは食事をするためであった。また、被告は昭和四四年三月株式会社○○ビレッジから長野県○○市○○の別荘用地二〇七七平方メートルを税理士Lの紹介で賃借したが、現地に行くのに男性を同行しなかった。そして、被告は昭和四五年七月四日から八月四日まで房州に出かけたが、これについては原告と何ら相談をしなかった。(五)、被告が昭和三八年九月ころ旅館「○○」を開業すると、原告は○○市○○の被告と同居していた居宅から離れて「○○」に移り、旅館の管理や売上金の集金などをするためそこに寝泊りするようになった。そして、原告から求められると被告は「○○」に出かけて原告と同宿した。原告は「○○」に移ったころから訴外会社の経営にあまり関与しなくなり、昼の間に看板業の見習をし始めた。被告は昭和四三年一月ころ「○○」で原告とKとの情交を二度目撃するに及んで、以後原告との性生活を拒絶するようになり、原告はまもなく母松子の許に移って看板業を営み、母と二人で暮すようになった。原告(原告の母のもの)と被告の居宅は道路一つを隔てて約一〇メートルしか離れていないが、原告と被告は訴外会社の経営について時折話合をすることがあっても、昭和四三年一月ころから性生活を断絶し、共同の家庭生活を営んでいない。(六)、原告は被告との離婚を強く望んでいる。これに反し、被告は反訴を提起して離婚を請求したものの、それは原告から本訴を提起されたことに対する擬勢を示したものにすぎず、その真意においては原告との離婚を求める意思を全く持っていない。被告は原告の長期間にわたる不貞行為や我がままな行為を耐え忍び、常に原告の立場、利益を考慮したうえ、ひたすら訴外会社の業績を上げようと努力して来たが、今後も原告と原告の母の面倒を見て行くつもりでいる。

以上の認定事実によると次のようにいえる。すなわち、まず、右認定の(四)の行動から被告に不貞な行為があったとみることはできないし、他に被告の不貞行為を認めるにたりる証拠はない。次に、原告と被告は右認定の(五)のような事情で昭和四三年一月ころから性生活を断絶し、まもなく原告が母の許に移って別居するようになったのであるが、それはKとの情交を再度目撃されて被告から疎じられた原告が被告の愛情を回復するのは困難であると判断して旅館「○○」からみずから身を引いたことによるものであって、その別居するに至った原因については原告に大きな責任があるとみることができるうえ、そのような事情の下で原告に性的要求を拒絶する被告の態度を非難するのは当らないから、その(五)の事情があるからといって原告が被告から悪意で遺棄されたとみるのは相当でない。また、原告が被告の許から「○○」に移ってそこに寝泊りするようになったことをもって、原告が被告から遺棄されたとみることができないのは当然である。弁論の全趣旨に照らすと原告が従前のような不貞行為を止め、その自己本位的な生活態度を反省して、被告に夫としての愛情を示すようになれば、被告はいつでも原告を受入れるものと推認することができる。因に≪証拠省略≫によると被告は最近養女春子が結婚するについて原告に相談を持掛けてその承諾を得たうえ、その結婚式への出席を懇請するなどした事実を認めることができる。最後に、右認定の(五)の事情と原告が被告との離婚を強く望んでいることからみるとこのままの状態では原告と被告の婚姻関係は破綻しているとみることができる。しかし、右認定の(六)の被告側の事情と右のような原告の反省次第でいつでも被告の許に戻れる状況にあることなどを合わせ考えるとその婚姻関係は原告の決意次第で円満な状態に容易に復元できるものとみることができ、しかも、それは原告が冷静に自己の行状を顧みることによって容易に判断できる事柄であるとみることができるので、現に婚姻関係が破綻しているからといって原告と被告の間に婚姻を継続し難い重大な事由があるとみるのは早計である。そうすると、原告の主張する民法七七〇条一項一号二号、五号の各離婚原因は存在しないことになり、原告の被告に対する離婚請求は理由がない。なお、婚姻関係の復元の見込がなく、婚姻を継続し難い重大な事由があるとみるのが相当であるとしても、右認定の(三)と(五)の事情に照らすとその婚姻関係の破綻を導くに至った原因は専ら原告の不貞行為などその責に帰すべき行状にあったとみることができるので、この点からみても原告の被告に対する離婚請求を認容することはできない。

ところで、右認定の(三)の事実によると原告に不貞な行為があったとみることができるので、被告主張の同法七七〇条一項一号の離婚原因は存在する。しかし、右認定の(六)のように被告は反訴を提起して擬勢を示したのにすぎず、その真意においては原告との離婚を求める意思を持たず、かえって原告の反省を期待して原告との婚姻を継続しようと考えているというのであるから、被告には離婚の意思がないとみるのが相当であり、被告の原告に対する離婚請求もこれを棄却すべきである。次に、被告は原告に対し長期間にわたって精神的苦痛を受けたとして慰藉料を請求するが、この慰藉料請求権は相手方の有責不法な行為によって離婚するの止むなきに至ったことについて相手方に損害賠償を請求することを目的とするものであるということができ、被告の意思もそのようなものであると解釈することができるところ、右のように原告と被告の離婚請求がいずれも認容されず、被告は原告と離婚することがないのであるから、被告の慰藉料請求はこれを棄却すべきである。また、被告は原告に対し財産分与を請求するが、この財産分与請求権は離婚をした者の一方が相手方に対して有するものであるところ、被告は原告と離婚しないのであるから、その財産分与請求の理由がないことは明らかである。なお、これは付随的裁判であるから、この点については主文に判示しない。

以上のとおりであるから、原告の本訴請求と被告の反訴請求をすべて棄却し、本訴と反訴の訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 加藤一隆)

〈以下省略〉

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